神岡という町

朝、朝食をいただいていると、川で鮎釣りをする人がいて、旅館の女将さんによると、今日から解禁なんだそうです。
様子が気になったので、川に降りてみました。
神岡の町は、ものすごく狭いエリアに家々が隙間もないほど密集していて、この旅館も御多分に洩れず、川にまで迫り出していて、内部も迷路のようでした。

聞くところによると、亜鉛鉱山の町として栄え、往時は 3 万人近い人が暮らしていたそうです。
そういえば、神岡に着いた時、大量のバッテリーを積んだトラックとすれ違いましたが、今では豊富な電力(水力発電)で、亜鉛の精錬をおこなっているそうです。
神岡では、湿式で精錬しており、副産物として硫酸も生産されているとかなんとか。

神岡鉱山
神岡鉱山の発見は養老年間(720 年頃)と言われて いる。部分的な開発は銀山として戦国時代から江戸時 代にかけて行われた。なかでも天正の終わり頃、茂住 宗貞が金山奉行に任ぜられた時期には和佐保銀山、茂 住銀山などが開発され隆盛を極めたが、近代的な開発 に着手したのは明治 7 年三井組の所有になってからの ことであった。三井鉱山合資会社は明治 25 年に設立さ れ、明治 44 年に三井鉱山(株)となったが、この間、 明治 21 年~ 23 年には鹿間、増谷に選鉱場が建設され たほか、鹿間谷製錬場が創設された。亜鉛精鉱の生産 は、1906 年(明治 39 年)から開始され、大正、昭和 初期から第 2 次世界大戦終結に至るまで増産されてき た。そのため、自家用電力の開発が進められ、国鉄高 山線猪谷駅までの神岡軌道を開設するなど、技術的に もインフラ面でも大きな飛躍があった。
その後、日本一の亜鉛鉱山として、生産を続けてい たが、経済性のある鉱量が枯渇したため、2001 年(平 成 13 年)6 月に生産を中止した。
明治以降、採掘中止までの神岡鉱山の亜鉛生産量は、 635 万 t に達した。
出典 歴史 -亜鉛(2)-我が国の亜鉛鉱山・製錬所の変遷と海外亜鉛資源確保の取り組み(PDF)

そういえば神岡は、ニュートリノを観測する施設、スーパーカミオカンデとやらがあると思うんですが、この施設は亜鉛鉱山を利用しているそうです。

神岡に行く時 5 号と神岡に何があるのか、という話をしていたんですが、宇宙からニュートリノというビームが飛んでくるのを巨大な電球で察知しているカミオカンデというものがあるらしい、といったらアニメの話?みたいなやり取りをしているレベルなので、興味のある方は、リンク先を見ていただいた方がいいように思います。
どうやら、ニュートリノとやらは、ビームではなくて、無茶苦茶小さな粒、ということのようです。

時間があれば、少し勉強に宙ドーム(とかいて、スカイドームと読ませるキラキラ命名)で勉強してみるのも良かったのですが。
今後、メンテナンス等で立ち寄ることもあると思うので、その時は観光する余裕があればと思います。

今日は移動するだけなんですが、もともとは富山に抜けようと思っていたんですが、九頭竜湖の方を経由して、福井に抜けることにして、お昼は道の駅 越前おおの 荒島の郷 に寄りました。

ここ、結構大きめで、モンベルも入っています。
ちょっと上に羽織るものと、T シャツを買ってしまいました。
結構な出費。。。

フードコートのカウンターが個性的で気になりました。
九頭竜湖の少し先に偉く立派な 舞茸工場 があったんですが、地元の特産品のようです。
舞茸を使ったメニューがいくつかありました。

鯖が好きなので、サバカレー、行ってみました。
うーん、微妙。
不味くはないんですけどね、ちょっと無理がある組み合わせの気がします。
きっと鯖 = 塩(or 味噌 or 醤油)という先入観がいけないんだと思います。

今日は天橋立に泊まります。
海側のお部屋を用意しました、ということなんですが。。。
絶妙な位置に体育館があって天橋立は見えません。
なんとも。

夕飯は、宮津はどうも カレー焼きそば を推しているっぽいのですが、5 号に却下されたので、普通にパスタになりました。
かなりゴージャス、お値段もゴージャス。

いよいよ明日が最終日、薪を積み込んで帰ります。
あと少し、無事故無違反で頑張ります。

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