伐採 最終日

いよいよ今日は伐倒です。

出典 http://www.nw-mori.or.jp

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右図でいえば、山側が東、谷側が西になり、南に神社の各建物、西には植林したヒノキの林があり、支障木は南に大きく傾いています。

単に倒すだけでも 30m 近い巨木ですから、かなり危険が伴います。

建物や空地の関係で、この図のように左下、つまり、北西のごく限られたスペースに確実に倒さないと、建物や木に被害が生じますので、本当に精神的にきつかったです。

とはいえ、今更引き返すことができないので、確実な作業のために、一つ一つ手順を確認してことに当たりました。

まずは受け口を作ります。
受け口は一部谷側になるので、足元が悪いので、バケットに乗って、作業をします。
なんと、1 時間もかかりました。

次に追い口を切っていくわけですが、これはものすごく緊張しました。

建物の方向、南に大きく傾いているわけですから、普通に作業をすれば、確実に倒したい方向、北西とは異なった方に倒れてしまいます。

そのため、合図をして、重機で押して引いてと伐倒する方向をコントロールしなければなりません。
結局重機は 3 台も投入しました。

また、昨日、南、そして、東側(山側)の枝はおろして、重量を軽くして起きました。

チェンソーのバーが短いので、切り込んでいく速度が遅く、重機の力が強いため、追い口がどんどん開いていくのですが、楔を打って万一の際に戻らないようにしながら、精一杯切り続けました。

メキメキという音の後、地響きとともに、予定の方向に倒れていきました。

中央部分がへし折れていて数えられないのですが、外から 2/3 ほどですでに 80 以上。

おそらく 100 年くらいのものではないかと思います。

村の年長者と話した時に、広島の核爆弾の光を、松山が空襲で焼けて真っ赤になるところを見たということを聞きました。この木も、そういう時代より、境内に佇み、自分を含め、父、祖父、そして、曽祖父と、もしかしたら木野山神社がこの地に遷座した時より、我々の営みを見守り続けてくれた木でした。

これほどの大木になると、万が一、枝が折れただけでも、大変なことになり、ずっと心配でしたので、ほっとする反面、誠に可惜しい極みで、倒れて間近になって再確認する圧倒的なボリュームに畏敬の念を禁じえません。

昼からは、レッカーで降ろした枝の片付けをやりました。

太いものは、薪に加工します。

細いものは、時間をかければ全部使えるのでしょうが、その余裕が無いので、焚き火です。

18 時前まで待って、ほぼ燃えてから、スレートで火事にならないように蓋をして終了です。

随分と日が長くなりました。

お宮の山に登って、境内と、夕日に色づく瀬戸の海、そして、堀江の村を見下ろしました。

一日が無事に終わったことを今日ほど嬉しく思う日は、そうあるものではありません。

明日は傷んだ屋根の修理をしたいと思います。