杉立町

今日はお賽銭箱を奉納してくれた大工さんのところにお札を届けに行きました。
高齢の方でもう何年もお目にかかってないのです。
初めて訪問しましたが、あいにくデイケアに出かけられていていらっしゃらなかったので、近所の方に託けて帰りました。
それで、折角河中まで出かけたわけですし、せせらぎ亭に行ってみようと思ったのです。

もう 40 年くらい前のことになるのではっきりとは覚えていないのですが、亡父は神社と内装屋の兼業であまり時間がなかったためか、子供の頃遊びに連れて行ってもらった思い出はあまりないのですが、河中のあたりの釣り堀に行った記憶が微かにあります。
それで、ふと懐かしく思ったのでした。
多分、せせらぎ亭かなと思うので、そちらに向かうことにしました。

〒791-0128 愛媛県松山市福見川町311
 
〒791-0128 愛媛県松山市福見川町311  

が、走れど走れど、それらしいところが見当たりません。
途中、城東開発の参拝処理場があって、その先からいきなり道がひどいことになってきたんですが、スマホも圏外になって、状況を把握できなくなりました。

ジムニーだったので気にせずガンガン進んでみたんですが、松山にこんなぽつんと一軒家レベルのところがあるとは思いませんでした。
後から調べましたが、杉立町というようです。

奥道後のロープウェイも運行を終了してしまいましたが、これの終点が、杉立山だったようです。
運行終了は 2009 年なので、もうかなり前ですね。
愛媛に戻ってきた頃には運行していたようで、その頃に行っておけばと悔やまれます。

温泉も、戻ってきた頃は、ジャングル風呂でした。
昭和の名残というか、当時は修学旅行などで賑わっていたのを思い出します。
リフォームされて 奥道後 壱湯の守 になってから、2, 3 回行きましたが、そういえば、ここ何年か入ってないので、5 号と一緒に行きたいと思います。
建物は古いのですが、温泉はとてもきれいになりました。

杉立町の峠の辺りでしょうか、印象深かったのは、お墓がとてもきれいだったことです。
あれだけきれいということは、ほぼ毎日のように手入れされているのだと思います。
とても雰囲気の良い土地で、廃村になったのが俄に信じられませんが、やはり道路事情が悪すぎるのが原因でしょうね。

城東開発の産廃場があるので、そこまではおそらく大型車は通行できるのでしょう。
途中の青波町は城東開発が設置したであろう信号機があって、集落の狭い部分は大型車は相互に通行するのだと思います。
青波の河内神社がものすごくきれいに整備されていて、きっと産廃の見返りなのだろうと思いました。
ものすごく複雑な気持ちになります。

また、この位置は、石手川ダムの上流でもあるので、レッグのようなことがないように、運営してもらいたと思います。

その後、思い立って石手寺にお参りに行きました。
時間が遅かったからかもしれませんが、閑散としていましたが、その分ゆっくりとお参りできたました。

以前境内に大量にあり雰囲気を台無しにしていた偏った政治的な掲示物が一切なくなっていたのは個人的には本当に良かったと思いました。
住職の加藤俊生(かとう・しゅんしょう)氏が亡くなったとは聞いていたのですが、お寺の境内で心筋梗塞で亡くなっていたそうです。
まだ、63 歳だったそうです。
神道政治連盟もそうですが、たとえどれほど素晴らしい活動であっても、それはそれでこういう聖域に持ち込むべきではないと思います。

そうそう、久しぶりに焼き餅もいただきました。
51 番食堂 さんです。
結局、お昼を食べ損ねていたので、こちらで食事もいただきました。

伊佐爾波神社も参拝しました。
実に見事な八幡造の御社殿です。
道後の街が一望できる素晴らしいロケーションでもあります。

見事な本殿です。

前殿(ぜんでん)・後殿(こうでん)と呼ばれる切妻造・平入の2つの建物を前後に連結させ、中間に1間の相の間(あいのま)が付く[3]。
前殿を外殿・礼殿・細殿・出殿・出居殿といい、後殿を内殿とも呼ぶ。
前殿に椅子、後殿に帳台が置かれ、ともに神座である。昼は前殿、夜は奥殿に神が移動するとされる

伊佐爾波神社は、自由に楼門内部に立ち入り、参拝ができるため、建築様式の美を心ゆくまで堪能できます。
宇佐神宮、石清水八幡宮は、立ち入ることができませんから、間近で本殿のお姿を拝することはできません。

過去、実物が展示されていた算額ですが、写しが掲示されていました。
江戸の人々の高い教養と文化、また芸術的な才能を端的に占めていると思います。
日本随一の温泉観光地に鎮座しており、多くの人に参拝していただきたいと思います。
本当に、もっと行政も積極的に発信して良いと思うんですけどね。

今日は、急遽予定が変更にはなりましたが、良い一日になりました。